こんにちは。Manahau Dogのきむらです。
今日はコラム
僕はニュージーランドの学校に行っていたのですが、やはり日本の学校と違うと感じたことは
積極的に学生同士に議論させ、ちゃんと学生同士で議論ができるということ。
学生たちもしっかり遠慮なく自分の意見を言い、賛同できない時は「賛同できない」っとはっきり言います。
それは文化の違いでもあるし、育ってきた環境があると思いますが主に欧米での統一意識、議論の前提として
反対意見を言ったり、賛同しなくてもその人自身を否定しているわけではないと前提で議論ができる。
なので安心して反対意見も言える。
(小さい頃からやっているので慣れているのでしょう。 議論するテクニックを備えていると言うのも大きい。)
しかし、日本で行う議論ではその辺がごっちゃになっていることが多い。
ある人の意見に反対したり、賛同しないと「私のことが嫌いなんだ」「私に反抗して反対意見を言っている」など
意見自体ではなく、その人自体、人格に反対していると取られることがある。
おちおち反対意見を言えない(笑)
犬との関係性においても、日本人は犬にNOっと言えない人が多いように感じます。
遊ぼうっと言われれば遊び、おやつをくれっと言われればおやつを与え
お散歩も犬の後を追っかけてるように散歩している方もいます。
犬のやりたいことを全てやらせてあげるのが犬を受け入れること
犬のやりたいことに対して、拒否するのはその犬を拒否すること自由を奪うことと勘違いされています。
犬に遊ぼうっと誘われ、「今は遊べない」っと断るのはその犬が嫌いで遊ばないのではなく、
その時は遊ぶ時間がない もしくは遊ぶ時ではないためだ。 自分の愛犬を拒否したり否定しているわけではない。
人間同士の議論と同じ構造。
犬と議論し、交渉すれば分かってくれる。
よっぽど犬の方が多くの日本人の様な被害意識はない。
反対意見 ≠ 人(犬)格否定という思考回路にはなっていない。
飼い主側も犬の意見に反対する時は反対し
メリハリのある接し方をしていきましょう。
今日の教訓
犬の意見に反対しても、その犬を拒否してわけではない。